イスラエルの道義

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現在、イスラエルの内戦に世界の注目が集まっている。正直、日本には難しい問題だ。日本には一神教が「ない」からだ。だが英国が第二次大戦終了とともに世界のユダヤ人を現在のイスラエルに集めたことには意見がある。それは妥当なのか?そう言えば日本にも同じような計画があった。河豚計画だ。

引用

河豚計画の核心はアメリカ(殊にユダヤ系アメリカ人)を説得することにあった。つまり、ヨーロッパ諸国の数千から数万のユダヤ人に対して、満洲国(あるいは上海)への移住を勧めるようアメリカを説得しようとした。その目的は、ユダヤ人の経済力の恩恵を日本が享受し、日本へも資本を投下させようとしたためである。その背景として、当時すでにユダヤ人がヨーロッパ諸国で迫害を受けるばかりか、ドイツ国内における市民権を否定され公職から追放されるなど深刻な状況下におかれていたことを挙げることができる。実際、ナチス政権下のドイツにおいては、1935年ニュルンベルク法が制定されるに至っていた。

河豚計画は、「在支有力ユダヤ人の利用により米大統領およびその側近の極東政策を帝国に有利に転換させる具体的方策について」という長い表題の付いた計画書である。その中で計画者らは豊富な選択肢を提示した。その選択肢には、ユダヤ人の移住及び投資獲得の方法に関する詳細な計画が含まれていた。1939年6月に編纂されたこの計画書は、同年7月に「ユダヤ資本導入に関する研究と分析」と改題した上で政府に提出され、承認を受けた。

当時、ユダヤ人社会は日本と比較的友好的な関係にあり、また、アメリカは、満洲国建国などで日本との外交的対立が先鋭化してきていた。そこで同計画書において提示されたのは、世界のユダヤ社会とアメリカとの双方の関心を惹く方法であった。すなわち同計画書には、

  • アメリカへの代表団を派遣すること
  • アメリカのラビを日本に招聘し、ユダヤ教神道との類似点をラビに紹介すること、および、ユダヤ人とユダヤ教を日本人に紹介すること

などが盛り込まれていた。

同時にこの計画は、アメリカの新聞映画業界を抱き込むことをも提案していた。計画者らは、当時これらの業界がユダヤ人に支配されていると信じていた。

しかし、実際の記述の大半は移住計画に割かれていた。例えば上海近郊の諸地域や、満洲の多くの箇所が候補として示された。同移住計画は、移民の人口が1万8千人から60万人に及ぶと見積もっていた。しかも、それぞれの想定人口規模に合わせた、学校病院などのインフラの整備、居留地の面積に関する詳細も示されていた。計画者らの間において、これらの居留地においてユダヤ人に対し、文化・教育面での自治、完全な信教の自由を与えることが合意されていた。

引用終わり

この日本のユダヤ人移住計画はあまりに英国がやったイスラエル建国と似ている。ひょっとすると「ユダヤ人ロビー」が日本にも英国にも働きかけた。実は第二次大戦でユダヤ人は日本が勝つ方にもアメリカが勝つ方にも賭けていた。その可能性がある。日本が負けたので英国を動かしてイスラエルを作った。その可能性もある。

自分は日本は中東の紛争とは距離を置くべきだと思う。キリスト教とイスラム教の対立はあまりに異質だからだ。だが日本が第二次対戦前に何をしようとしたかは思い出すべきだ。

日本への海外勢力の働きかけはあまりに不透明だ。自分は真実を知りたいと思う。

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