これが私の故里だ
さやかに風も吹いている
心置なく泣かれよと
年増婦の低い声もする
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
有名な中原中也の詩である。生まれ故郷である山口市湯田温泉に歌碑がある。
朝日を辞めて1年ほど色々やったがうまくいかず田舎に戻った。阿知須という湯田温泉の近くの土地だ。ある日、会社の友達から電話がかかり湯田温泉に飲みに行くことになった。
深夜まで飲んでふとこの歌碑を見つけた。大変な衝撃を受けた。
ああ おまえはなにをして来たのだと
吹き来る風が私に言う
という部分が身にしみた。そこで「何故、自分は朝日新聞社を辞めることにしたのか?」を考えてみた。理由はたくさんあった。だから内容証明郵便での会社への辞表の送付となった。
今、考えてみると赤報隊事件が浮かぶ。この事件のパート2として朝日新聞名古屋本社新出来寮事件が挙げられる。この事件では寮のTVにライフルが打ち込まれた。実は1ヶ月前までこの寮に入っていた。新聞の1面の写真で見慣れたTVが残骸になったのを見た。大きな恐怖心を抱いた。
もう1つは昭和天皇の崩御である。この時、朝日は昭和天皇が胃癌であることをスクープした。これに対する反響がすごかった。毎日、会社の前が街宣車で埋まった。同じ頃、読売新聞社は崩御の予定稿を刷り、一部を持ち出した。奇妙なことにこちらには右翼の反発は無かった。
色々とあり、神経が疲れたので休みたかった。それが退職となったのは他の理由からだと思う。
湯田温泉で見た中原中也の歌碑はまさに自分の痛いところを突いていた。
ああ おまえはなにをして来たのだと
吹き来る風が私に言う
ひたすら虚しかった・・・・・
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