中国共産党は何を夢見てるのか?

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引用

中国南方の都市・広州。トヨタ自動車、ホンダなど外資メーカーを核に自動車産業が集積することから、「中国のデトロイト」と呼ばれる。この都市が新たに、「アジアのブルックリン」とも呼ばれ始めていることは、日本ではまだあまり知られていない。ニューヨークの黒人街も顔負けのアジア最大級のアフリカ人コミュニティが、急速に形成されつつあるのだ。

広州白雲国際空港から車で20分。広州で最もアフリカ人が多い通り「小北路」の夜は、とても中国とは思えない。行き交う人の8割方が褐色の肌で、強い香水の香りが漂う。商店やカフェの店先から聞こえるのは英語、フランス語、スワヒリ語など。店員の中国人も片言の英語を話す。

商業ビルに入ると、アパレル製品や家電などの店が並ぶが、店主も少なからずアフリカ人。

「ジーンズから子どもの靴まで、衣料品なら何でも扱う。中国の提携工場にオーダー生産もできるよ」。

店主の1人、コンゴ出身のヒポ・ブラウンさんは、Tシャツや上着が並ぶ3畳ほどの店で語る。ブラウンさんは中国人経営の工場や問屋から仕入れた商品を、アフリカ各国から買い付けに来た貿易商向けに卸す個人の中間問屋。自身でも母国向け輸出を手掛ける。広州のアフリカ人の多くが、ブラウンさんのような商人だ。

引用終わり

私は1984年にコンゴに行った。当時はザイール共和国だった。首藤キンシャサを歩いてみると意外とアジア人が多い。中国人だった。キンシャサ市内の小さなお店、例えば靴屋とかは中国人が運営していた。キンシャサの日本大使館で聞いた話だと彼らは交換でアフリカに来たのだと言う。中国共産党と多くのアフリカ諸国が協定を結び中国のある村の人口をそのままアフリカに移す。反対側ではアフリカ人を同人数、中国に受け入れた。自分はこの話が信じられなかった。今の中国はGDP世界2位の大国だ。何故、アフリカと等価交換をするのだ?自分はこの話が信じられなかった。朝日新聞でも目ざとい連中は中国に旅行に行った。彼らは「中国が人民服とか自転車とか完全に過去の話だ」と言った。彼らは現地に行き情勢を見た上でそう主張した。他方で自分がキンシャサで中国人を多く見たのも事実だ。その反対側でアフリカ人の受け入れもやっていた。合わない。自分は中国に関しては疑問を持ったままだった。

最近になり広州に数十万人のアフリカ人がいることがわかった。やっと判明した。この人たちが中国に連れてこられたアフリカ人なのだ。彼らが広州に集まった理由は不明だが気候面でアフリカに近いからだろう。この奇妙な国民交換の裏にあったのが中国共産党の思想だ。自分には間違っていたとしか思えない。

中国共産党が中国の都市を作り道路を作り鉄道を作った。だが利用者がいない。共産党の目的は「外国人の威圧」であり都市の整備とか交通網の整備ではないからだ。現在の中国は立派に見える。だが中国のハイウエーを車で走ると言う動画を見ると幾つか不思議な点に気づく。まず、ガソリンスタンドがない。道路の周囲に林立する団地に人が住んでる感じがない。香港ならベランダから布団を干してるのに中国本土では干さない。

これらは中国共産党が国民の土地を共産党のものとしたからできた。立派だ。だが誰がその費用を継ぐのだろう?自分は1984年のコンゴ旅行で感じた疑問を今も感じている。

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