自分は大学卒業時に優生学差別を受けたと考える。ずっとそう主張しているがほとんど共感は得られない。ままよ、何が起きたか書いてみよう。
私は1979年から80年にかけて大学卒業時の就職活動をした。この頃は身上書という家族関係を書く書類の提出がほぼ義務だった。9月に企業訪問が解禁になり次々と不合格をもらった。その内に自分は「こうした企業は身上書を出した時点で不合格を決めてるのではないか?」と考えるようになった。
例えばソニーは1回目で不合格だったが三井物産は2次まで行った。それは三井物産は一次ではつまり初回に身上書を出せと言わなかったからだと思う。
これは予想はしていたものの大変なショックとなった。だが幾分明るい面もあった。当時はメディアは10月からの試験を設定しており幾ら何でもメディアも一般企業と同じとは思えなかった。だが同じだった。
例えば日本経済新聞社は最終面接まで行った。何故かというと最終面接まで身上書を要求しなかったからだ。この日本経済新聞社の最終面接ですべての役員に笑われた。私が言った兄を擁護する表現がおかしかったらしい。あはは、あは、あはははは
この笑いに自分は傷ついた。ただ日本経済新聞社だけが悪いわけではなく電通も神戸新聞社もみんな同じだった。ここから年内は引きこもるのだが、年を開けて大学の図書館に行き新聞を読んでると朝日に「営業社員急募」という広告が載っていた。これに応募したのが1月のすえで合格の通知をもらったのが2月の最終日だった。3月から大学は新年度モードに入り就職窓口も閉鎖だった。ギリギリだった。
自分は、優生学差別を受けたと考える。そう考える理由を上げてみよう:
1.自分の兄が統合失調症だったのは事実だが自分はそうではない
2.医学的なレポートによると兄弟の片方が病気のときもう片方が病気になる率は10%
3.そもそも日本人の重い精神病発症率は1%である
4.それが10%に上がったから発症予定者にして良いのか?
5.自分は結局、発症しなかった
6.それは発症する確率が最初から10%だったからだ
7.これは無知に基づく優生学差別だ
自分はそう考えるのだが、ほとんど賛同は得られない。精神病患者の家族会とかは味方しないのか?しない。そもそも彼らも自分たちの家族のかかった病気にどう対処したら良いのかわからないのだ。
日本経済新聞社の事件から40年経った。日本社会はほとんど変わっていない。いつ日本はその優生学差別を止めるのだ?
この文章は書籍化されます。
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