高千穂で考える ー 神武天皇は何を食べていたか

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現在、鹿児島のホテルでこの文章を書いている。旅のはじまりは周南の徳山港からのフェリーでの国東半島移動だった。これを利用して思ったのは国東半島の暖かさである。宇部のマンションから見えてる半島なのだが意外と暖かい。まず緯度が違う。さらに風が少ない。どうも日本海からの風は九州北部の山で遮られているようだ。ともかく暖かい。国東市営バスにのり延々、海岸沿いを走り最後はJRの駅につき大分で一泊した。

大分も緯度がそれほど山口県宇部市と変わらないのを考えれば暖かった。やはり風がない。九州の東部は西部からの風が真ん中の山脈で抑えられるらしい。昨日は延岡市からバスで高千穂に行った。ここは古事記などに出てくる神話の故郷だ。個人的には天孫降臨の地なのが気になる。さて今回のテーマは神武天皇は何を食べていたかである。まず神武天皇の東征の解説をしたい。

引用ウイキペディア

神武東征(じんむとうせい)は、磐余彦尊が日向を発ち、奈良盆地とその周辺を統治していた長髄彦を滅ぼし、はじめて天皇の位についた(神武天皇)という一連の説話をさす用語。

神武天皇は日向(ひむか)に生まれた。現在の宮崎県だが何故、宮崎なのかである。自分は九州東部の温暖の気候で二期作や二毛作が可能であり、その米などが日向族に日本統一の力を与えたのではないかと思う。

まず宮崎は温暖だ。これは緯度が関係している。また風が少ない。これは九州中部の山脈が西からの風の力を奪ってるからだ。また台風も少ない。これも中部山脈由来だろう。要は宮崎県には温暖な気候があり二期作が可能だったのだ。自分の考えるところ、それが神武天皇や日向族に力を与えたと思う。

高千穂への旅行も面白かったが高千穂峡の柱状節理の部分が面白いのであり阿蘇山の噴火とそれがもたらした特異な地形が面白かっただけだ。その面白さゆえに天孫降臨の舞台として選ばれたが、それだけである。

鹿児島も暖かいのだが宮崎のような温暖さはない。自分はないと思う。宮崎の気候の特異性は中央の山脈で西からの風が塞がれる部分にあると思う。そしてそれが二期作のような米の栽培につながったと思う。

自分は何故、日向で神武天皇が生まれ天孫降臨を行ったか不思議に思っていたが今回の良好で謎がとけたと思う。

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