植松聖と何か的外れな殺人

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相模原事件の公判が始まった。植松被告はやはり優生学的な主張をしているのだが何か的外れなように見える。

 

今、争うべきなのは知的障害者と精神障害者だろうか?殺されたひとが知的障害を持つひとであり植松は精神障害を持っているように見える。この2つは争うべきなのかである。

 

現実の世界では両者は争わない。何故かというとどちらも自分たちが抱えた障害で手一杯であり横の連帯をしようという機運がないからだ。

 

今の日本社会で争うべきなのはA級国民とB級国民の格差である。この格差は消費税でもたらされた。消費税の負の累進性が自民党の「負の部分」とあわさり、奇妙な「優秀国民」が生まれた。例えば小泉進次郎がそうだ。

 

他方でほとんどの日本国民は格差がついて税負担に喘いでいる。だから植松が正義感から殺人をするなら当然、安倍や麻生を狙うべきだった。ところが植松の主張によると彼はむしろ政府にかわって正義の代行をしたと考えてるらしい。

 

そもそも施設に人が収容されてるということは施設の運用で人と土地が使われるということであり別に悪くない。財政出動だと思えば良い。植松は緊縮派なのか?どうもそうらしい。しかし自分の手で殺人を行うというのは大変な洗脳を受けたということで、具体的にどこでどのように洗脳を受けたのかを見てみたい。

 

ここで植松に歪んだ緊縮思想、日本は財政赤字で経済は破綻寸前で消費税をあげないとやってけないという考えを吹き込んだのは明らかに政府とメディアである。第二海援隊を見よ、消費税増税前の新聞各紙の歪んだ社説を見よ、そしてTVでのコメンテーターの歪んだコメントを見よ。日本社会すべてがおかしかったのだ。その異様な日本社会の雰囲気を吸い込んで頭のなかで拡大したのが植松聖の優生思想である。

 

植松被告はTwitterで安倍総理や多くのネトウヨをフォローしていた。

 

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